第三回神保町サロン

4/11に行われた第3回のサロンのレポートです。

参加者:3名
場所:神保町「神田 伯剌西爾」

テーマ:人と信頼

 

コーヒーゼリーが本当にコーヒーの味がするコーヒーゼリーなお店。とりとめなく話していました。

 

以下、レポートします。

 

 

 

 

めもちらかし。

 

■2人のダメ学生の話

一年で22単位しか取れなかったA君と半期16単位しか取れなかったB君がいた。よくある話だ。

どちらもダメ人間なのだが、A君は自信過剰で自己意識が強い。B君は意思が弱いけど謙虚。

クラスの連中はB君の奴には4年で卒業できるよう、救いの手を差し伸べた。A君は自信過剰であまり人の話も聞かなそうだし、自分でやれというわけで相手にしなかったそうである。

果たしてB君は確かに助けられつつ4年で卒業できるかも知れないが、A君はここで奮起すればさらによい結果に結びつくかもしれない。

但し、人の話を聞く姿勢がなかったがためにA君は周りの善意の手助けを受けられなかったのは確かだ。

我が道を進むのなら、自分で責任を取らなければならない。A君が浅はかな考えの中で独善に陥り留年などすれば、それは彼にとって一番の悲劇である。

しかし、浅はかな考えから脱するには人と触れ合わなければならない。他人の声に耳を傾け、謙虚な姿勢をとることは、我が道を進まんとするものにも有用である。

 

■木村コーチの死

木村氏は、元は強肩捕手として日ハムにドラフト外で入ったが、いまいち開花せずいっときは任意引退選手扱いとなったという。そこで、自分の才をチームに貢献するためにと、猛練習をして外野手に転向。

しかし、交換トレードで広島カープに移籍する。このころ打撃は非常に非力だったと言う。他選手の後継として二塁手にポストがあるということでそれに取り組む。数年後には故障の多い選手のサブとして遊撃手のスキルも磨き、その欠を補う。

さらにその陰で、弱点だった打撃にも磨きをかけ、代打の切り札としても活躍するようになる。

その後また捕手をやったり打撃の1番を勤めたりと、このころ貴重なユーティリティプレイヤとなった。

彼は自ら自分の仕事を見つけ、全力でそのスキルを磨き、ジェネラリストとして大成したのである。

彼の突然の死を多くの人が悼み、惜しむ声がこれほど多く聞かれたのは、その彼の野球に対する真摯な姿勢と、チームに貢献し飽きることなく自らのスキルを磨き続けた努力があったからこそである。

 

■真摯な奴

専門家や学者はよく突慳貪であるといわれる。大学教授なんかもとっつきにくい人は本当にとっつきにくい。

専門家などがとっつきにくいのは、我々凡人の話など歯牙にもかけないからである。それも道理で、彼らはその道のプロフェッショナルなので、専門の話であれば一般人の話など聞いても、説法を聞かされる釈迦同様の心持ちというわけだ。

しかし、よほど物事に精通した専門家でなければ、人の話を聞くことは重要だ。他人の話に耳を傾けなければ、お互い理解することもできないし、信頼することもできない。人は一人では生きられず、協同に生活をしているのだから、人の言う事を全く聞かずに、コミュニケーションを取らずに生きるなどと言うのは到底できない話である。

しかし、近年では核家族化や仕事の分業化や効率化によって、多くのことを個人個人独立してやらねばならなくなった。人と人とをつなぎながら流れるのは言葉でなく、お金しかない。自分中心で生きることが許される時代になってしまったのだ。

そうすると、どうも他人とうまく接することができないことが生まれてくる。普段は自分の考えてる通りに仕事を進めたり、パソコンを操ったりできるのだが、相手が人ではそうは行かない。お互いを理解し信頼しあうために、そして同じく社会に生くために、話を聞き合うことが肝心である。

そこで積極的に話を聞こうとする人間は信頼しやすいから、乃ち真摯な奴だとなるわけである。

 

■ダラダラしてるな

人はどうも、怠けても良い状況となると本当に怠ける生き物である。

いや、それはもちろんやらなければいけないことがあることは頭の隅っこにあるのだけれども、それを思えば思うほど体が動かない。もうちょっとダラダラしていていいかなァ、なんて何時まで経っても仕事が進まないと言う道理である。

しかし、人は一生懸命にならないと、人生は充実させられないし、何事も成し遂げることはできない。そのきっかけは、そのことが好きだとか、あいつに勝ちたいとか、これを成し遂げたいとか、かっこいい姿を見せたいとか、なんでもよい。兎に角この鬱陶しい世界から何とかして自分が一生懸命になれるきっかけを、仮初にでも見つけることである。

物事に一生懸命に取り組む、すると経験が積まれ、何がしかの成功と充実感がもたらされる。そうすると、その成功したと言うことが次に何かに一生懸命になれるきっかけになり、いい螺旋が生まれるのである。

また、社会と繋がっておればメリハリなくダラダラしている奴など放っておかない。もちろん、常にフルパワでは体が持たないので、遊ぶとか勉強するとか働くとか休むとか、これらのメリハリが大事である。これは自分が意識しないとできないことだし、これを自律的にコントロールしなければ他人に迷惑がかかる。自己中心的な人は自分をも滅ぼすのである。

 

■今の社会

昔の人が「社会」というと、新聞の三面記事に出ているようなことが綜合されたようなことだと感ずるそうだ。今の人は「社会」といわれれば、世界全体のものの流れとか人の流れとか、そういうものを全部ひっくるめて社会と呼ぶように考える。

社会は本当に世界を結び、大きく素晴らしいものになったようである。しかしその反面、それぞれの仕事は分業化、細分化され、それぞれの仕事がなにをやっていて、何に結びついているんだかとんと見当がつかない、なんてことが起きたりする。

昔の人は、枠こそ狭かったがあちこちにある、社会という桶の中に人々が集っていた。

今の社会はあまりに広大な桶なものだから、一人一人も自分用の桶を作ってその中に収まるなんてことになっている。

社会が広くなるあまり、一人一人が孤独になっているというわけだ。

人も、いわんやどんな生物もそうであるが、力をあわせることでより素晴らしいことを達成することができる。幾ら社会やシステムや、物流が世界を飛び回る大きなものになったとしても、合わせる力がみみっちいものなら何事もなす事能わざりき、といえるのではないか。

 

■自分のなす事

果たして自分は何をしたいのか。

就職活動などを一生懸命に行っている学生がよく自分に問いかけている問である。

しかしながら、これは何も無いところから自分がしたいことを考える、というのではよくない。それはただの自己中と言うものだ。

誰もが、その所属している社会の中の一員である。その自覚を持った上で、その社会の一員として自分の強みとして活かせること、自分ひいては社会に貢献できることはなんだろうと考えなくてはならない。

しかし、最近の学生は部屋にこもってばかりいるので、社会とのつながりがないと言うことである。社会とのつながりがなければ、他人と対面したときに信用してもらえるようなスキルもない、言葉だけでなくボディランゲイジを上手く使った会話などもできないであろう。

パソコンでも携帯でも、それはもちろん文章のやりとりぐらいはできるものである。しかし、それは何とかというフォントと文字のやりとりでしかなく、実際面と向かってしゃべるときには、それはもう本当に沢山のサインを送り合っていてそれを無意識に理解し合っているというから、やはり実際に誰其に会って話す経験をたくさん積むことが肝要だ。

 

■安売り

今の時代はデフレーションといって、物価がどんどん安くなっている。そりゃ贅沢する金持ちがいなくなったのだからとことん安くていいとは思うのだが、いいものまで安く買い叩かれてしまってはもったいない。

そもそも、何でもかんでも安く売れば良いというものではない。金はもちろん何か自分に効用をもたらしてくれるものに対して払うのだが、金をはらうということは決まりだからと言うわけではなく、その価値を認めましたよということで払うのだ。

売り手は商品に想い入れもなく、兎に角誰かに売りつければいいと思って安くしてしまうのかも知れないが、やはりそれなり価値のある物に対しては、それだけの対価を払う、そういうことがしっかり行われないと、ちゃんと心と時間を込めて物を作っている人に失礼である。

そういう意味で、写真だけしか載せないで安く安く売るインターネット上の店とかを使うときは、良くも悪くもその商品に本当にどれだけ価値があるのか、しっかりと見極めて買うことが肝要である。また、売り手の方もデザインや性能に自信があるなら、一銭足りともまけずに堂々と売ればよい。また、堂々と売れるものを売り出すべきなのだ。

 

■分別

していいことと悪いことの区別。これは大きくなってから世の中に出ていろいろと気づくことがある。

しかし、これを大きくなってから気づいても、なかなか直せないものである。また、自分の中で当たり前になっていると、気づくことすらできないことが多い。

分別というのは、社会で生きていく上でのルールのようなもので、最低限身につけておかなければならない。子供の小さいうちに、社会が子供に分別を教えるべきなのだ。

 

■年寄り

昔は15にしてもう一人前の大人として見られていた。人生がだいたい50年で終わっていた頃の話だ。

最近では平均年齢が八十某と、倍ぐらいになっている。

20で成人するも30ぐらいまでは結構好き勝手出来る社会になりつつある。

それに応じて、活躍できる最高の年齢も徐々に上がっているのではないか。

昔は30にもなればスポーツ選手は引退だったのが、今やスター選手が30代後半なんてこともある。

65歳以上の人口が云々というが、電車にドカドカと乗り込んできて我が物顔で他人を押しのけ座り、隣の車両まで響くような大声でおしゃべりをするパワーがあるなら、75歳や80歳まで社会で活躍していただいてもよかろうとおもうのだが。そのほうが本人たちのためでもあろう。

 

■集合知

集合知は多くの知らないことが混じり合いながら、そこから新しいものが生まれるという化学反応だ。集団力の強さはその何乗にもなるパワーもさることながら、集合知が生み出す新しい視野も大きな魅力だ。

 

■選択

人間、全ては選択できない。何を選択するか考えよう。

人間結局、何も選択できないかも知れない。与えられたものの楽しみ方を考えよう。

 

■努力

努力している人は信頼される。

後悔はするな、時間の無駄だ。反省をせよ。

そして自分を信じるべし。