第二回研究会の論点

アンソニー・ギデンズ『親密性の変容』松尾精文・松川昭子訳、而立書房、1995年
序論・1・2

論点
①ギテンズの論における権力の位置づけ
・制度的再帰的自己自覚と権力の関係はどうなっているのか?

ギテンズは、言説がそれ自体社会的現実の構成要素を形作る現象を、「制度的再帰性」として表現している。フーコーにおいて、「権力知」の一方的侵入と捉え られていたこれらの現象を、ギテンズは再考察しているわけであるが、ギテンズの論では、そもそも権力をどう定義するかを論じていない。
監視し、可視化され、イゾトピー的な「規律権力」は、「再帰性」とどう異なるのか、ギテンズは詳細を語っていないように思われる。

※フーコーの規律権力は、君主権的権力と対立するものであり、身体と権力が結合する場において働くものである。規律権力は、第一に、個人の身体、時間、行 動様式を捕獲し、主従関係といった非対称的なメカニズムを排除したものである。第二に、規律権力は、連続的な監視による。これは、行動様式、言説などが記 録されることにより、可視化された身体が制度によって中央で管理されるということである。第三に、規律がイゾトピー的であることで、システム内での位置の 移動が連続的に行えるという特徴をフーコーは挙げている。

→議論の1つの方向として、制度的再帰的自己自覚的な作用が働く空間や関係の構造を明らかにする必要がある。親密性の存在する場所、制度的である社会と親 密な場はどう関係しているか。言説が生まれる際、一般の人々はどう関係しているのか。これらについて、規律権力との違いはあるかも加えて議論するべきだろ う。

②カミングアウトとアイデンティティー形成の関係性について
・性的なカミングアウトとアイデンティティー形成の関係性は自明なのか?
・同性愛・自慰以外のカミングアウトの作用はそれらと同様であるか?

例えば、私はロリコンですとカミングアウトした時、それによって、肯定的なアイデンティティーは生まれるのか。生まれないとしたら、なぜ同性愛と自慰は特 別なのか。カミングアウトには、確かに、タブーを無毒化する力があると思われるが、その過程についての議論がなされていない。

③ロマンティック・ラブとは?
・ロマンティック・ラブは日本でもあったのか?
・イギリスのラブロマンスはどんなものなのか?

そもそもロマンティック・ラブに対応する訳語が不明。ロマンティック・ラブ≒恋愛ともとれるが、訳中に「1つにとけあう愛情」、「情熱恋愛」など様々なタームが出てくるので今後注意して見ていく。
イギリスでは、17世紀のシェークスピアがラブロマンスの始めか?19世紀にはオースティンなどの女性に目を向けた小説家が出てくるが、その間は不明。

④主体について
今日、自己は、自分についての叙述を過去、現在、未来に照らし合わせてみたり、周りの何かに再帰的自己自覚することにより、自己アイデンティティーを確認 しなければならない。よって、今日の社会では、アイデンティティーは自己の中のみにあるのではなく、開かれているとも言える。ギテンズは、主体について厳 密に論じていないが、無意識下にあったものが、次第に意識下に降りてきて、選択を迫られる機会は増えていることを指摘している。どうしても、強迫的な性質 を持ちがちな近代のアイデンティティーの保持と、選択の度に民主的な解決を行い、自己について満足を得ることは両立できるのか、次回以降論じていく。

⑤用語の使い分け
訳中には、「再帰的自己自覚的」と「再帰性」と使い分けしている箇所も、原文ではreflexivityと区別されていなかった。この点について、訳者の意図についてもこの先注意して読み進めていく。
なお、再帰性と役にはあるが、reflex≒反射するという訳にあるように、自らを何かに照らし合わせて当てはめていく作業の繰り返しと取れるかもしれない。

⑥カルフォルニア風カルトとは?
ニューエイジのことかも。これについては、各自調査。

 

by K.K